そのふよふよと浮かぶ物体――生物? を目にしたときの感動は何とも云えぬものだった。
まず足が無い。足が見えないのだ。それでいてどこか透けているように見えるのだから、これは現実ではないだろうと私は判断しそうになった。一度確認として頬を抓ってみると、自分の指の感触に皮脂が付着したのも感じて気味が悪くなる。すぐさま私はハンカチをバッグから取り出してやや乱暴に顔を拭いた。
ハンカチで顔を拭いてからも、その生物は浮いていた。
黒髪ツインテールにほんの少しだけ色素の薄い黒い瞳が眼鏡の向こうに見える。今時では珍しいのかもしれないセーラー服に身を包み、その少女は浮かんでいた。
――死んだあの人が浮かばれないでしょう。
そんな表現を耳にしたことがある。実際、魂は浮かぶのだとか霊魂は天国に行くものだとかそういう話は確証が無いのだからどうするもこうするも信じることが出来ず、だけれども目の前に居るこの子は確実に存在している訳で、ええと。
「……こんにちは?」
「こんちには、じゃないわよ。何? 視えるの?」
「は、話せる!」
「当たり前じゃない」
見下すような瞳でこちらを見る彼女は、視られていることが稀であるのか私の周りを一周した。浮いている彼女は何の抵抗を感じさせずにぐるり、と私をじろじろと観察した後に頷いた。
何がわかったかはわからない。けれども私は形容しがたい高揚感に襲われていた。
「本当に幽霊って居るんですね!」
「そうよ。居るもんは居るの。居ないものは居ない。っていうか信じてなかったのに視えたんだ?」
「えっと、そういうわけじゃなくて」
「じゃあ何よ。興味本位?」
「興味本位も違うような……」
「さっさと言ってよ。面倒くさい」
「うーん……感動?」
「はぁ? 何それ質問と違うんだけど」
「だってそんないきなり聞かれてもですね! 稲垣さん堪えられませんよ! 激おこ……」
「こっちだっておこだっての」
幽霊から発された言葉に思わずたじろいでしまう。
――今の幽霊ってサブカルネタが通じるんですね!
嬉しいような困るような複雑な感情が込み入って、どうしてか笑ってしまう。微笑むもので済むはずがなく、いつもと打って変わって大口開けてげらげらと笑ってしまった。
私らしくないなぁなどと思っていると、幽霊が口元を緩ませた。ああ、やっぱり幽霊にだって感情だってあるしある程度の感受性だって残っているものなんだ、と感心していると緩んでいた口元が戻ってしまっていた。
残念そうにしゅん、としてみせると幽霊は元通りの見下す視線を取る。
「そんな顔されてもね」
「でも悪いことはしない幽霊なんでしょ?」
「そりゃあしないわよ。する必要ないし」
「じゃあ学校の怪談って作り話?」
「どうかしらね。自分で確認してみれば?」
「何それ怖い。嫌ですよ嫌。絶対に嫌です!」
「ふーん。キミって怖い怖いって言いながら怪談知りたがる系でしょ。面倒ね」
「どうしてそれをわかっちゃうんですか」
「さあねぇ?」
含み笑いをする様子はまさに生きているようだった。
――でも現世に居るから生霊で……ってことは生きてる?
感じの作りからしては生きているのだろう、と判断した私は何と無く手を彼女に向けようとしてやめた。
きっと触ろうとしたらこんなことを言われてしまうのだろうなぁ、と考えていると彼女が先手を打ってしまったからだ。
「触ってみればいいじゃない。無理だから」
ほらやっぱり触れないんだ。
私はなんとなく頷いて、彼女に笑って見せる。
彼女の含み笑いは終了して、ふっと微笑んでくれたような気がしたのは、きっと気のせいなんだろう。